平瀬さんは小さいおじいちゃんって感じのひとだった。
杖をついて歩き、少し耳が遠かった。

川西さん、山本さん、ぼく、そして平瀬さんが四人部屋のメンバー。

山本さんはいろんなことやってきたけど、今は職がない人、
川西さんは悠々自適の年金生活者、
ぼくはと言うと、今年は農閑期だからと言っている農家、

山本さんのこれからを、川西さんとぼくが、あ〜でもない、こ〜でもない、
カフェを始めたらどうか、コロナ禍の中なんだから看護師をもう一度やったらどうかなど、
妄想を広げながら楽しく会話した。
そこへ、平瀬さんが時々入ってくる。

耳が遠い平瀬さんは、僕たちの会話を聞いていたわけではなく、
突然、突拍子もないことを言い出した。
自分が住んでいるとこは、士族が居ていぱっていたとか、
お茶の栽培でたくさんの農薬が使われたとか、
こちらの話が突然、切られるシーンが何度かあった。

でも、大丈夫!、
ぼくらはたくさんの暇な時間をもっていた。
平瀬さんが突然言い出した話を、掘り下げながら、
そこで、平瀬さんどうしたの?って、
平瀬さんの若い頃の話しを聞いた。

平瀬さんは、中学を出てから東京で働き、18歳の時、
右腕を怪我し、その後は鹿児島に帰ってきて、生まれ育ったとこで、
働いたって言っていた。

嫌な思いもしたそうで、
おまえは、リチャード・キンブルだと言われたと突然話し出した時は、
一瞬なんのことかわからなかったが、
ぼくの古い記憶が、逃亡者だと言い、
川西さんに、昔の海外ドラマ、逃亡者って言ったら、
川西さん、ぼくの顔をみて、苦しそうな顔をした。
リチャード・キンブルから連想するのは片腕の男、

東京で怪我をしたという平瀬さんの右腕は肘から先がなかった。

世の中には、心ない人がいる!

平瀬さんは、ベットから起き上がる時はいつも、
「よっこらしょ、よっこらしょ!」って言いながら左手を使いながら起きていた。