赤城さんは糖尿病で入院していた。

話す言葉にはちからがなく、いかにも病人だった。
しょっちゅう、血糖値をはかり、インシュリンを注射していたような気がする。

そんな赤城さんは57歳、20代は神奈川県に住んでいて、かなり給料の良い仕事をしていたようだ。
金回りがよかったので、毎晩飲み屋に行きそれなりに女遊びもしたと言っていた。
良く飲み、良く食べ、良く遊んだ、20代だったって話した。

30過ぎた頃、親に鹿児島に帰ってこいと言われ、もう都会もいいかなって感じで鹿児島に帰ってきたそうだ。
鹿児島でどんな職についたかは詳しく尋ねなかったけど、
10年ほど、タクシーの運転手をやったらしい。

鹿児島でも飲むことは続いたようで、炭酸飲料大好き、ポカリスエット大好き、ビールはもっと好きって言っていた。

そんな赤城さん、つらかったのは10年付き合っていた彼女が死んだことだと言った。
その彼女に最後に会ったのが赤城さん、
いっしょに食事をした日、彼女はほとんど食べなくて、具合が悪そうにしていた。
そんな彼女を家まで送り、そのまま別れたらしい!
それから電話しても出なくて、心配していたとのこと。
十日ほど経ってから、突然警察から電話があり、彼女の死を知らされたとのこと。
携帯の履歴から赤城さんに連絡がきたらしい。
つらかった!って言っていた。

ぼくは、なんでもっと早く会いにいかなかったのか!
具合悪かったのを知っていたし、
早く行動おこせば彼女は助かっていたかもしれのになぁって思ったけどそれについては黙っていた。

彼女のことを話す赤城さん、
「彼女もぼくと同じ鬱だったんです」

ここでぼくは赤城さんが鬱で悩んでいたことを知った。
鬱専門の病院にも入院したことがあり、彼女も鬱ってことで、助け合っていたように思えた。
電話で彼女の弟さんに、今入院中で墓参りに行けなくてすみませんって言うのが聞こえてきた。
病室での電話は禁止だか、動くのもしんどそうな赤城さんにそんなこと言えない!
それに大きな声で話すわけではなく、静かに話す赤城さんの声はつらそうだった。

いろんな人生がある、
赤城さん。
両親は早くに亡くなり今は天涯孤独って言っていた。
親戚もいないらしく、入院の保証人には中学の同級生がなってくれたらしい。

赤城さん。
つらそうにしていた赤城さん、
ぼくが病院を去る時、握手してきた。
決してちから強い握手ではないけど、
赤城さんはぼくの手を求めていた。
ありふれた言葉だけど、ぼくは赤城さんの目を見て言った。

今が踏ん張りどころだから、きっと良くなるから、
最初見た時よりかなり顔色よくなってきているよ。

病室を出る時後ろを振り返ったが、赤城さんはぼくが寝ていたベットの前の椅子にこしかけたままの姿だった。