雨の日の記憶をたどると幼少のころまだ小学生に上がる前に辿り着きます。
ぼくの育った所は田舎ですから幼稚園とか保育園はなく、小学校に上がるまでは日中のほとんどを家で過ごしていました。
そのころの田舎の家がそうであるようにぼくの実家にも牛が飼われ放し飼いにされたニワトリが庭にいて少しの間だけどヤギもいました。
天気の良い日母は牛の草を刈りに出かけたり畑仕事と忙しかった記憶があります。そんな母も雨の日には家にいました。
家ではラジオをかけているわけでもなくただ静かに雨音だけが聞こえていました。風もなくシトシトと雨が降っていました。
記憶のその光景は雨音が静かに聞こえ母の横にぼくがいる、ただ母が横にいるだけでうれしくなぜ今日は母が家にいるのかと言うとそれは雨だから。
小さかった頃のそんな記憶が雨の日はよみがえります。

大きく育った木をみるのはうれしいです。

今は廃校になった小学校の近くにある大きなきです。

おっといけない。ハードボイルドをこよなく愛する俺にはそんな感傷にひたる時間はないんだ。
男は強くなければならない、そしてやさしくなければ生きてゆけない。