毎日のんびーブログ


蜂飼いで溶接好きな のんびーのブログ

Category: 病院 (page 1 of 2)

バレンタインデーは病院

晴れ

また少し寒くなりました

家内がチョコ買ってあげるよって言うので、これ選びました

今日は病院でした。

いつもの病院、採血があるので早めに家を出て病院が稼働するのを待合室で待ちました。

採血をしてくれた看護師さんは大当たりでした。
「チクッとしますよ」と言われたけどぜんぜんチクッともしなくて終わりました。

幸先よく、結果もよく、次の予約と処方箋ができるのを待っていたら、

少し離れたところに座っていた、服のサイズはMでは無理かな、
L もちょっとって人のところに看護師さんが来て、

「〇〇さん体重測定がありました」って言ったら、
そのひと
「あしたじゃダメ!」って返しました。

看護師さんが、「うふぅ」って笑い
ぼくは「うまい」って心で言いました。

まっ、こんなことがあった2023年のバレンタインデーでした。

世の中、今日はドキドキがたくさんあったのでしょうね!

看護師編その2

晴れ

天気は良いと気分がよい

ぼくの担当看護師だった詩穂さんは可愛い子だった。
可愛いって言ったのは家内で、ぼくは目しか見えない彼女のことを二重のぱっちり大きな目をした若い子ぐらいとしか認識できなかった。

彼女は看護師の代名詞である、優しさをもってぼくに接してくれて、そして心地よい綺麗な声でいつも話しかけてくれた。

入院後少しして処置治療があり、詩穂さんも処置室まで付き添ってくれた。

しかし翌日から詩穂さんを見なくなった。

最近見ないなぁ〜って、検診にきた看護師に尋ねたら、具合が悪く休んでいると。

そしてぼくは病棟を移動することになり、ぼくには新しい担当看護師がついた。

ぼくのベットは窓際でベットに腰掛けていると病室の入り口が見える。
本を読むのにも飽きたぼくは、ベットに腰掛け、ぼ〜としていたら、
ドアをトントンって叩く音がして、入り口を見ると、

ぼくの名前を呼ぶ詩穂さんがそこに立っていた。
彼女はにっこり笑い、小さく手を振っていた。

彼女はもちろんマスクをしていて目しか見えないけど、
あきらかにニコニコしていた。

「詩穂さんじゃない!どうしていたの?」っておもわず言ったぼくに、
虫垂炎になっちゃって!と答えた。

大変だったね!とぼくらは簡単な会話をしたあと、
「移動になっていたので、ちょっと挨拶にきました」と詩穂さんは言った。
うれしかったなぁ〜、ほんとにぼくはうれしかった。

彼女は帰り際、「またきますね!」と言って帰っていった。
もちろん、彼女がまた来ることはなかったし、
それが社交辞令だということをぼくは理解していた。

社交辞令は綺麗ごとで嫌いだとひねくれた考えをするぼくでも、
詩穂さんの「また来ますね!」には気遣いとやさしさを感じた。

悲しくも愛おしい入院患者達

晴れ

まだ晴れが続いています。


川西さんが退院して、それから数日して平瀬さんも別の病棟に移動することになった。

平瀬さんは丁寧にぼくと山本さんに頭を下げて、
ここでは時間が短くてよかったです。退屈しなくて良かったです。って
丁寧にお辞儀して、看護師さんに付き添われて病室を出ていった。

ぼくと山本さんは、廊下に出て杖をつきながらゆっくり歩く平瀬さんを見送りながら、なんか泣きたくなるよね!って二人で言った。

しばらくしてぼくも病棟を移動することになり、
その病棟の食堂で小さく椅子に腰掛けている平瀬さんを見た。

病棟の移動なんて簡単なもんで、荷物も最低限にしてしていたので30分もかからず終わってしまった。

移動は午後だったので、その日はじっとして、翌日の午後平瀬さんの名前を探して病棟内を歩き、名前を確認してそして食堂にむかい椅子にちいさく座っている平瀬さんに声をかけた。

平瀬さん!覚えていますか?って声をかけたら、小さくにっこり笑い、
「はい!あの病棟では1日が短くて良かったです」って答えた。
平瀬さんがいる今の病室は四人部屋で隣の人との仕切りが壁になっていて、隣の人の顔を見ることもできない構造で、退屈すると食堂にくるって言っていた。

それから午後の空いている時間ぼくは食堂に行き、平瀬さんと話をした。
なぜか、平瀬さんの相手をしてあげなくてはいけない気持ちになっていて、時々同じ話になったけど、ぼくは平瀬さんと話すのが楽しかったし、ぜんぜんいやじゃなかった。

話し方も良かったのかもしれない。
今は耳にすることが少なくなった昔の丁寧な鹿児島弁で、
年下のぼくに対しても優しく話す平瀬さんは、
好々爺だった。

悲しくも愛おしい入院患者達 赤城さん

くもり晴れ

天気がだんだん崩れてきた

赤城さんは糖尿病で入院していた。

話す言葉にはちからがなく、いかにも病人だった。
しょっちゅう、血糖値をはかり、インシュリンを注射していたような気がする。

そんな赤城さんは57歳、20代は神奈川県に住んでいて、かなり給料の良い仕事をしていたようだ。
金回りがよかったので、毎晩飲み屋に行きそれなりに女遊びもしたと言っていた。
良く飲み、良く食べ、良く遊んだ、20代だったって話した。

30過ぎた頃、親に鹿児島に帰ってこいと言われ、もう都会もいいかなって感じで鹿児島に帰ってきたそうだ。
鹿児島でどんな職についたかは詳しく尋ねなかったけど、
10年ほど、タクシーの運転手をやったらしい。

鹿児島でも飲むことは続いたようで、炭酸飲料大好き、ポカリスエット大好き、ビールはもっと好きって言っていた。

そんな赤城さん、つらかったのは10年付き合っていた彼女が死んだことだと言った。
その彼女に最後に会ったのが赤城さん、
いっしょに食事をした日、彼女はほとんど食べなくて、具合が悪そうにしていた。
そんな彼女を家まで送り、そのまま別れたらしい!
それから電話しても出なくて、心配していたとのこと。
十日ほど経ってから、突然警察から電話があり、彼女の死を知らされたとのこと。
携帯の履歴から赤城さんに連絡がきたらしい。
つらかった!って言っていた。

ぼくは、なんでもっと早く会いにいかなかったのか!
具合悪かったのを知っていたし、
早く行動おこせば彼女は助かっていたかもしれのになぁって思ったけどそれについては黙っていた。

彼女のことを話す赤城さん、
「彼女もぼくと同じ鬱だったんです」

ここでぼくは赤城さんが鬱で悩んでいたことを知った。
鬱専門の病院にも入院したことがあり、彼女も鬱ってことで、助け合っていたように思えた。
電話で彼女の弟さんに、今入院中で墓参りに行けなくてすみませんって言うのが聞こえてきた。
病室での電話は禁止だか、動くのもしんどそうな赤城さんにそんなこと言えない!
それに大きな声で話すわけではなく、静かに話す赤城さんの声はつらそうだった。

いろんな人生がある、
赤城さん。
両親は早くに亡くなり今は天涯孤独って言っていた。
親戚もいないらしく、入院の保証人には中学の同級生がなってくれたらしい。

赤城さん。
つらそうにしていた赤城さん、
ぼくが病院を去る時、握手してきた。
決してちから強い握手ではないけど、
赤城さんはぼくの手を求めていた。
ありふれた言葉だけど、ぼくは赤城さんの目を見て言った。

今が踏ん張りどころだから、きっと良くなるから、
最初見た時よりかなり顔色よくなってきているよ。

病室を出る時後ろを振り返ったが、赤城さんはぼくが寝ていたベットの前の椅子にこしかけたままの姿だった。

看護師編

晴れ

今日までは晴れそう

ぼくは病院でも早起きだった。

4時には目が覚めて5時までラジオを聞いた。
5時になると外は明るくなってくるので、もう起きてもいいだろう!って食堂へ向かった。

皆が食堂ってよぶから、食堂って書くけど、実際は椅子とテーブルがある休憩室のようなコロナ禍でなければ見舞客と患者が話す場だと思う。

もちろん、何かを注文して食べるとこではない。

そこには、お湯とお茶が出るサーバーがあり、そこでインスタントのコーヒーを飲むのが入院生活後半のぼくの日課になっていた。

外はだいぶ明るくなり、電気をつけるまではなく、備え付けのテレビを見ながらぼくはコーヒーを飲んだ。

そんな朝も看護師さんは働いていて、コーヒーを飲んでいるぼくに「電気つけましょうか?」って声をかけてくれるが、ぼくは、「いや!このままでいいです。まだ完全に朝になってないこの感じが好きなんです!」なんて似合わないことを言った。

若いほどではなくなったけど、ぼくは甘いものが好きである。
コーヒーを飲む時は甘いものがほしくなる。

なので、家内にチョコレートをもってきてもらい、目立たないように(わからないように)食堂で時々食べた。

その日も夜勤の看護師さんと、5時過ぎにおはようございますって挨拶を交わし、

こっそりとチョコを食べようとしていたら、

もうすっかり名前を覚えてしまった看護師さん!

ぼくの名前を呼んで、

「チョコを食べる前に、採血しましょうか!」って優しく言った。

食事制限があるわけではなかったので、チョコを食べても問題なかったけど、
チョコが見えないようにしていたので、ばつの悪さは少しあった。

優しい看護師さんは患者の行動をよくみているなぁ〜って思ってしまった。

Olderposts

Copyright © 2024 毎日のんびーブログ

Up ↑