善意の悪意
” 善意の悪意 ” って言葉を聴いたのは、永六輔さんのラジオでした。
東南アジアで井戸掘りのボランティアがあり、井戸は掘られ水が湧き出てきました。
しかしのちに、井戸水にカドニウムを含まれていることがわかり、結局井戸水は飲めなくなったそうです。
” 善意の悪意 ” の例えで聴いた話です。
いろんな例えはあるんでしょうが、
身近な話で、ぼくの実家、かなり山奥です。
そこにも郵便配達人はきます。
郵便配達人はいつも猫のえさを持ってきます。
猫達もわかっていて郵便配達人がくると集まってきて餌をねだります。
人は自分を待っている動物がいるとうれしいものです。
なので、いつも餌を猫にあたえていました。
でも、猫はその山奥で増えてしまって実家周辺の人達は困っていました。
その猫に餌をもってくる郵便配達人は善意で猫に餌をやっているのでしょう。
でも住民たちからすると余計なことです。
ぼくたちは自分がよいことをしていると思っていても、結果が悪意と同じことをしているかもしれません。
むつかしい問題です。そんなことをいったら何もできなくなってしまう、って言われそうです。
糸井重里さんが”ほぼ日”で書いていました。
”よいことをしていても、ちょっと悪いことをしているんだと思っているぐらいがちょうどいいんだ”と
吉本隆明さんが言っていたそうです。
自分は良いことをしているんだという自覚を半分にして、半分は果たして自分は人の役にたっているのかっていう疑問を持つぐらいがよいのかもしれません。

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